SSブログ
思い出ネタ ブログトップ
前の10件 | -

カンニング事件と予備校時代 [思い出ネタ]

京大カンニング事件があたかも重大事件のように連日報道されている。個人的にはガソリン代値上げの方がよっぽど重大なんだが日本の報道機関はそうは思わないらしい。私がこの事件で「およよ?」と思ったのはただ一点。カンニングした子の通っていた予備校が私の母校(?)だったことである。当時は河合塾提携文理予備校という名称だった。高校三年の時、劣等生だった私は就職クラスにいた。勉強する時間を少しでも部活動のために使いたかったからである。部活を引退した後申し訳程度に地方公務員試験を受けたが、ロクに勉強してなかったので不合格。その後はなーんも就職活動をせず漫然と毎日を送っていた。なんとなく「やっぱり進学した方がいいかな?」とか考えつつも。。。卒業間近クラス担任に「お前どうすんだ?」と聞かれたところ「浪人します。」と回答。今さら受験勉強しても受かるはずがないと考え自ら一年を棒に振ったのである。とんだ親不孝ものだった。

仙台時代は結構楽しかった。カンニングした子と同じく寮生活だったがロクに予備校に行かないで友達とつるんで街に出て遊んでばかりいた。何せ初めての都会暮らしだったので何もかもが新鮮だったのである。一応寮には禁煙、禁酒をはじめ細かい規則があったが、守る者はあまりいなかった。最初の数ヶ月は寮生たちは結構真面目にやっていたが、血気盛んな若者がつるみ始めたらもはや抑えが利かない。夏以降は狭い個室の中でコンパを始めたり、ストレス解消と称して寮の壁をキックして大穴を開けたり、気に入らない者へ女の子の字でウソのラブレターを出したりなど酷いものだった。まさに旧制高校の寮みたいなノリ。他の寮の者と話すとみんな「お前んとこの寮に入らなくてホントに良かったよ。」とあきれられた。文理には寮がいくつかあったが私が入っていたのは特にタチの悪い者の集う寮だった。この寮には単に交通の便だけを考えて決めたに過ぎなかったのだけれど。私は単純な性格なのでその熱狂の中に巻き込まれそのまま溶け込んでいってしまったが、少なくとも他のみんなは私よりは頭が良く、かげではしっかり勉強していたことに気づいていなかった。そして翌春。そんな疾風怒濤の浪人生活をしていたバカ者に与えられた審判は「不合格」の3文字だけだった。文理での一年はセイシュン時代的にはオモロかったが、人生的には全くの無駄をしてしまった。またしても親不孝を重ねてしまった格好である。私が本格的に勉強を始めたのは二浪目からだ。毎日図書館に通うというスタイルで宅浪をしたのだが、そのことはまた機会があれば書こうと思う。

カンニングした子は山形出身だったらしいが、寮には入らず仙台まで通学には出来なかったのだろうか?寮費より交通費の方が安くつくし、電車の中で勉強に専念できるわけだし。私が仙台にいた年の吹奏楽コンクール東北大会は山形市で開催されたので当然のごとく聴きに行った。(←このドアホが!)仙山線で一時間程度の距離でそれほど遠く感じなかった。寮生活のなんたるかを知る者としては「親元から離れて浪人するのは結構リスキーな事なんだから通えるなら通った方が良かったんじゃないか?」とどうしても思ってしまう。ウチの時代の寮を基準に考えるのも失礼な話かもしれないけど。それでも東北六県の若者が一同に会す寮生活は楽しくも悲しくもあり貴重な経験ではあった。あのころのみんな今どうしてるんだろ?










コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

CX90年代深夜枠最強伝説 [思い出ネタ]

前回の記事で「昔CXで「音楽の正体」という番組があったが、それと同様、いやそれ以上に(scholaは)資料的価値の高い番組だと思う。」というようなことを書いたが、番組コンセプトの異なる「schola」と「音楽の正体」とを勝手に対峙させた上「それ以上の番組」と一方的に決めつけてしまうのはいかがなものかと反省したりもした。昔のフジの深夜番組はそれだけ凄かったのだ。今では考えられない。この「音楽の正体」に関しては現在youtubeで視聴可能なので、どんな番組か興味のある方は是非ちらからご覧頂きたい。youtubeを観ながら「こんなおもろい番組なのになんで録画しなかったんだろ?」と回想したところ、どうやら当時の私は近藤サトアナがあんまり好みじゃなかったかららしい。なんとももったない話である。「音楽の正体」以外で特に印象に残っているのは「文學トイフコト」「マエストロ」の二本だった。

「文學トイフコト」は日本文学の予告編映像というコンセプトの番組。私はこの番組ですっかり緒川たまき、井出薫ファンになってしまった。いやはやなんとも日本情緒豊かかつ艶かしい番組だった。番組の挿入曲として原田知世が歌う「t'en vas pas(彼と彼女のソネット)」カバーが素晴らしく、この曲の収録されているアルバム「カコ」は現在に至るまで私の愛聴盤である。その後、井出薫嬢は番組ディレクターの片岡Kと結婚。思わず壁を殴ってしまった思い出がある。


「マエストロ」は西村雅彦演ずる指揮者が主役の名曲紹介番組。といってもドラマ仕立てだったが。コンマス役は小木茂光、演奏は早稲田大学交響楽団など。取り上げられたテーマは、マーラー、チャイコ、ベト、サティ、ドヴォ、ブル、ワグネル、ドビュッシー、リヒャ、ストラヴィンスキー、ヴェルディ、プッチーニ、ビゼー、シューベルト、ラフマニ、メンデルスゾーン、ラヴェル、ブラ、モツ、そして最後にマエストロ=指揮者。ドラマはリハーサル風景を中心に展開したが、西村雅彦の無茶振りのタクトがなかなか抱腹絶倒であり毎回苦笑いしながら観ていた。

なんとかDVD出してくれませんかね?この3つの作品。







コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

遠くにありて想うもの [思い出ネタ]

私はmixiもTwitterもやらない人間でメールを書くのもたまーにだけなので遠方の友人たちと頻繁に情報交換したりしない。学生時代の友人に関しては年賀状だけが頼りだったりする。と言っても毎年くれるのは一人しかいない。書いてよこす内容は毎年「ブログ見てるぞ」の一言だけとそっけないが、写真に映っているお子さん達の成長が微笑ましいので彼の年賀状は元旦の楽しみの一つになっている。鑑賞のポイントはお子さん達がどんどん成長しているのに対し、彼は学生時代から全く変化しないところにある。太らない。ハゲない。体型髪型とも昔のまま。そのままサックスを持たせたらマーチングの練習にも参加出来そうだ。「きみは何か?不老不死なのか?」とアブラデブ&うすらハゲの私は思う。同窓会に出たらみんな私の事を笑うだろう。友は遠くにありて想うもの?


「Gちゃん、いつも年賀状アリガトー。今年もこの記事を年賀状代わりに読んでちょーだい!ところで最近みんなどうよ?Gちゃんはツイッターとかやったりすんの?」


コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

いにしえのMac謹賀新年の儀 [思い出ネタ]

昔のMac(漢字Talk〜MacOS9)は新年になると起動時に新年を祝ってくれていた。関東で一人寂しくアパート暮らしをしていた当時、新年のカウントダウン=Macたちのスイッチオンだった。MacOSXを常用するようになってからはこの秘密の儀式を行わなく(行えなく)なったが、去年ノラ猫のように安売りされていた初代iMacを入手してからは「儀式が10年ぶりに行える!」と心密かに正月を楽しみにしていた。日付変更とともに「ウッシッシ...」とほくそ笑みボンダイiMacくんを起動。ところがなんともならない。普通に起動するだけ。なんと旧MacOS最終バージョンのOS9.2ではこの機能(?)が廃止されていたらしい。

どうにも諦めきれず色々調べた結果、次の作業を行えば正月や誕生日を祝ってくれるとのこと。

①MacOS8.6アップデートとResEDITを用意する。(どちらもネットで入手可能)
②ResEDITでアップデートを開き、System別冊という階層を開く。
③System別冊からfdpcというリソースを見つけてコピー。
④ResEDITで起動ディスクのシステムフォルダからSystemを開きその中にfdpcをペースト。

途中はしょった。詳しくはこちらこちらなどに書かれております。ResEDITはシステムに直接手を加えるツールなのでご使用はくれぐれも自己責任で...ってフレーズも今じゃすっかり懐かしい響きですな。つうか2011年にもなってMacOS9を使おうと考える時点でアナクロニズムの残党っしょ。


この通りなんとか無事に「謹賀新年復活の儀」を執り行う事が出来た。
でもホントは漢字Talk7のころの「あけましておめでとうございます」の方が好きだったりする。

P1010022.jpg

ということで拙いブログではありますが今後ともよろしくお願いいたします。


コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

独立国家小田川藩帝国炎上す! [思い出ネタ]

「独立国家小田川藩帝国(前編)」の巻、および「独立国家小田川藩帝国(後編)」の巻にてレポートした小田川藩帝国だが、昨夜国会議事堂部分が全焼したとのことである。かの国では10年前にも出火したことがあったが、その際「自作自演ではないか?」という説がまことしやかに語られていた。今回も地元民の多くは「またか」程度の感想しか持たないだろう。しかし少なくとも湧き出るお湯には罪はない。同じ金木の名湯「奴温泉」も数年前の火災で営業停止を余儀なくされている。これでは奥津軽に立ち寄る楽しみが減ってしまう。こっちは入浴さえ出来れば構わないので、普通の温泉銭湯として再建して欲しい。そのぐらいは余裕の財力あるんでしょ?


コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

独立国家小田川藩帝国(後編) [思い出ネタ]

「独立国家小田川藩帝国(前編)」の巻 の続き。

我々日本人に開放されているのはこの国会議事堂である。私は一応温泉ブロガーという体裁でこの国を訪問したので、ここの温泉については触れなければならない。
P3180043.jpg

国会議事堂玄関。どう考えても独裁国家にしか見えない小田川藩だが一応民主国家の体裁は繕っているらしい。幕藩体制下の藩なのかはてまた独立国家なのかコンセプトがよく分からなくなって来た。
P3180020.jpg
P3180021.jpg

なんと黄金の茶室もあるそうな。茶室の名前がチャングムというのは何かのシャレか悪質な皮肉だろうか?だって秀吉は朝鮮出兵をしたんでしょ?「茶室だからチャングム」といった風なあまり考えずに付けたネーミングなんだろうけどさw
P3180022.jpg

観光客用の温泉はいたってノーマルである。というか施設の規模を考えるとあまりに竜頭蛇尾。お湯は笹ニゴリでやや熱め。しょっぱ味。ほぼ無臭。さらっとした浴感。鉄分を含有しているらしくあったまり感が持続する。おせじ抜きで良いお湯だ。五所川原以北の岩木川東岸では一番の泉質。わざわざこんなハリボテ、もといテーマパーク、もとい独立国家にしなくても良いレヴェルである。
P3180037.jpg
P3180033.jpg

露天風呂にお湯が張ってあるのを見たことがない。もしかして藩主さんセコイ?
P3180025.jpg

ちなみにこのエリアの近くの飯詰という場所には戦後最大の偽書「東日流外三郡誌」で知られる和田家の跡地がある。津軽人のホラ気質には地元の私ですら面食らう。ネタ的には面白いんだけどねw



コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

独立国家小田川藩帝国(前編) [思い出ネタ]

わが青森県は日本国政府の統治の及ばない独立国家を含有している。日本国の地名で言えば青森県五所川原市金木町嘉瀬端山崎という場所である。その小田川藩なる国家についてはアメブロ時代に一度だけ記事を書いたことあったが、その時はスパイ行為を犯してまでの危険なレポを行わなかった。小田川藩国は観光に力を入れており、領内の国会議事堂に当たる施設はホテルとして外国人である我々日本人に開放されている。そこに湧いているお湯は泉質的になかなかのものであり、我が国の版図でないことが心底悔やまれる。今日は観光客のふりをして小田川藩国に潜入してきたので、その圧倒的軍事力、および温泉力を日本国民に明らかにしたいと思う。

小田川藩国境付近の上空。奇妙に輪っかになった飛行機雲があるのがお分かりだろうか?おそらく米軍の戦闘機が小田川藩周辺を調査するために上空を旋回しているのだと思う。
P3180003.jpg

小田川城正門。ここから先は日本国憲法が一切通用しなくなるから注意が必要だ。道路標識もごらんのように日本国のものではなくなる。
P3180004.jpg
P3180007.jpg

坂をやや登ったところに小田川城の大手門に当たるゲートがある。ゲート上部には「小田川藩帝国」「ODAGAWA INDEPENDENCE」との標記があり、ここが独立国家であることが実感出来る。
P3180010.jpg

ゲートをくぐるといきなり現れる帝国海軍省。「何ぃ!パトリオットミサイル防御システムだと?!」
P3180012.jpg
P3180013.jpg

小田川城の天守閣方向を望む。天守閣そのものはこじんまりとしており、田舎館村役場の天守閣の方が立派である。
P3180041.jpg

さらに進むと国防省の施設が見えて来る。掘ったて小屋のようだが「ミサイル基地」との表記。
P3180042.jpg

小田川藩ICBMの偉容。日本海方面にミサイルが向けられているのはまだ良いが、良く見ると東京方面にも向けられている!油断ならない。北朝鮮だけではなく、わが日本国も小田川藩国の標的にされているのだ。
P3180024.jpg
P3180039.jpg

独立国家小田川藩帝国(後編)につづく。








コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

吹奏楽コンクール全国大会があったんですね [思い出ネタ]

最近妙に吹奏楽ネタの夢を観るので、超ヒサビサに2chの水槽板をのぞいてみた。そうだった。10月は全国大会があったんだよな。コンクール総合スレで高校の部の金賞団体をざっとおさらいし、コン厨さんたちの批評を読む。みなさん相変わらずだなーといった感じ。聴いてみたいと思った団体は特にないのだけれど、東北の団体の演奏はどうだったかやはり気になる。北東北の低迷はとても寂しいです。秋田南高校、花輪高校、弘前南高校がそろって全国に出るのを再び観れたらもう吹奏楽に未練はないかも。もちろん選曲やサウンドの傾向は昔のまんまでだぞ!とかいうのは独りよがりな勝手な妄想なんだが。部活は現役さんだけのためにあるもの。古いOBに許されるのは妄想と思い入れだけです。「いつか必ず。。」と願って幾年か。今年のコンクールに出たみなさん、お疲れさまでした!余談だけど東京の某大学の吹奏楽部にも頑張って欲しいです。って、オレたちの頃より上手いらしいけど、よくは知らん。東京にいる同輩達はたまには近況報告するように。
コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

スタミナ太郎弘前店に入ってみる [思い出ネタ]

7月に弘前市扇町にオープンした「スタミナ太郎」。バイキング形式の焼肉店に入るのは6〜7年ぶりだ。この手の店が美味しいはずはないのだが、ある特殊なノスタルジーに浸るため利用してみた。私がまだ熊谷市民だったころ良く通っていたのが「肉のハナマサ」である。私のようにビンボーでケチなくせに腹一杯になりたい人間には「ハナマサ」がピッタリだった。仕事でストレスがたまると私はよくチャリンコで「ハナマサ」に通い、肉の味のするゴム、いや、ゴムのような固い肉を喰らっていた。そもそも私は若い頃は暴飲暴食の王の名を欲しいままにしていた。ご飯は一膳20秒程度で平らげてたし、和風レストランに独りで入って寄せ鍋を頼んだりもしていた。今じゃ高血圧症でメタボっ腹なのでそのようなことは控えている。それでも時々自分の立ち位置を確認するために、過去の愚行を繰り返したくなるのである。 「スタミナ太郎」では、紳士然と年相応の量とペースで食事をした。そして「ハナマサ」のゴム、いや、肉と同じ安っぽい味わいに熊谷人であった当時を懐かしく回想した。 「スタミナ太郎」には休日にランチサービスがなく、昼間からフルバイキング価格1980円を払う。はっきり言ってこれだけ払うならもっと美味しい店で食事が出来る。んでもまあ、美味しい思いをするのが目的じゃなかったですので。

注) 「スタミナ太郎」の名誉のため言っとくが、肉はハナマサレベルだが、他の料理やデザートは結構美味しかった。肉以外のメニューを目的にここに来る人がいるというのもうなづける。お寿司にウニがあるのも結構ウレシイ。私のような独り客も邪見にはされなかった。

 

P9270004.jpg

P9270003.jpg

 


コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

私のRCサクセション [思い出ネタ]

忌野清志郎氏の訃報を知ってから、私の頭の中でRCサクセションの音楽が繰り返し再生されており、仕事中も気がつけば鼻歌を歌ったり歌詞を口ずさんだりしている。私はRCの熱心なファンではなかったがそれなりに思い出はある。ブログに書いて人に読んでもらっても特に面白くもなんともない思い出だが。RCの存在を意識したのは中学生時代。きっかけは忘れたが、なんとなしに「ちょっとRCのファンになってみようかな?」とか考えたのだ。要するに思春期特有のアホくさい自意識の表出でありポーズである。何かのファンになればかっこ良くなれるものでもないのにね。今思い返してみると、多分毎週聴いていた坂本龍一のサウンドストリートあたりの影響だったのではと推測する。

お小遣いの少なかった私はRCに限らずレコードを購入するゆとりなどなかったのだが、中学2年の時ひょんなことで、その機会を得た。場所は修学旅行中の都内某所である。修学旅行の自由行動の日に私は川口の伯母と会う約束をしていた。幼少のころは何度も親戚の家に遊びに行ったものだったが、ある程度成長してからは親戚とは疎遠になっていた。
なので、子供の頃は可愛がってもらっていたくせに、人見知りするようにはにかんでしまって、何を話せば良いのか分らなかった。そんな私の様子を察してか「何でも好きなもの買ってあげるから言って見なさい。」と叔母さんが切り出してくれた。「実はレコード屋に行きたいんだけど。。。」田舎坊主の私は少々屈辱を感じたが、子供のように人に甘えられる機会はもうないだろうと、叔母さんに案内してもらった。「俺が今欲しいものはと。。。」と熟考し、ハムレットのように悩んだが、結局私の手には2つのミュージックテープが残った。(なんでLPでなくテープにしたかは謎である。荷物になると思ったからかな?)

ひとつは、ブラスロックバンド「スペクトラム」のベストアルバム。これは私が吹奏楽小僧だった関係である。私が中2のころには既に解散していたが、いっこ上の熱心なスペクトラムヲタの先輩の影響でじっくり聴いてみたくなっていたのだ。その時までスペクトラムの楽曲と言ったらインザスペースしか知らなかったし、桑田啓介がヴォーカルで参加していることも知らなかった。今ひとつがRCサクセションである。とにかく何でもいいからと思ってロクに内容を確かめず「これがいいな。」と伯母さんにレジを頼んだ。ほんとはもっとちゃんと選びたかったが、二つも手にしている時点でずうずうしく思ったので遠慮した。自分へのお土産を得た私はこの2つのテープを聴くことを非常に楽しみにしていた。

家に着いて早速RCのテープを聴いてみたが、なんだか違和感を感じた。全然ロックしてない。まるでコミックバンドみたいだし、曲も古くさい。「アレ?RCってこんなバンドだったっけ?」そう。私はRCがフォークバンドから出発したことを知らなかったのだ。「俺はフォークグループのファンになるつもりはないんだが。。。」と喰わず嫌いをしそうになったが、繰り返して聴くうちにだんだん引き込まれ、ロックに路線変更した以降のRCの音楽よりずっと好きになった。かえってRCの「愛し合ってるかい?」とか「Mmm...Baby!」とかいう要素は受け付けない体になった。そのテープのタイトルは「ハードフォークサクセション」というものだった。つまり私にとってRCの音楽とは初期RCのことであり、化粧をしているキヨシローではなくマッシュルームカットのキヨシローなのである。


忌野清志郎氏の逝去をきっかけに以上のようなことを思い出し、私のiPodにRCのプレイリストを作ってみた。(思えばRCとは25年ぶりの邂逅となる。)その結果、「トランジスタラジオ」「雨あがりの夜空に」「サマーツアー」「ベイビー!逃げるんだ。」などといった私の思春期にリアルタイムで流行っていた楽曲を一切含まないリストになった。今車の中で聴いているのは「ぼくの好きな先生」「三番目に好きなもの」「僕の自転車の後ろに乗りなよ」「キミかわいいね」などといった初期のRC、および、矢野顕子とのデュオの「ひとつだけ」、坂本冬美と細野晴臣とのトリオHISの「夜空の誓い」などの曲である。修学旅行の時伯母さんに買ってもらったテープはまだ私の部屋のどこかにあるはずだ。実は昨日この思い出のテープを探す気になって部屋の隅っこにうずたかく積んである段ボールの発掘調査を行ったが、あまりにも他の雑テープや雑ビデオが膨大であり発見出来なかった。RCは見つからなかったが、長年忘れていた高校や大学時代の吹奏楽部時代の演奏テープなぞを発見し、つい懐かしさに浸り、そのうち飽きてめんどくさくなり発掘を断念した。私はこういったものを一切捨てられないのである。

「離れている時でも おいらのこと 忘れないでいてほしい ねえ お願い BYキヨシロー」BYE!

コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | - 思い出ネタ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。